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「日本の家 田舎の家」
外の自然に目をやることが日本家屋の思想
四季の移ろいがあればこそ、生活にもそれに応ずる変化があって、常に飽きない。常夏の国は一見、うらやましく思われるが、1年中変化がないのでなんとなしにだらけてしまうのではないだろうか。シンガポールの造園家が、熱帯の国では同じ花が1年中だらだらと咲いたり咲かなかったりして、日本のように、一時期に一面に花が咲くような風景はつくれないと言っていたことを思い出す。四季の気候の変化がうらやましい限りらしい。
その四季の移ろいを情緒豊かに感じるのが日本文化の伝統であり、春の花、夏の月、秋の紅葉、冬の雪など、季節感への思いの豊かさはあらゆる伝統芸術に息づき、世界に類がないといってよい。日本の家屋はこういった文化を反映して、外の自然に目をやることが最大の関心事であり、屋内での寒さや暑さへの備えはそれほどに心を使わない。
田舎ならなおさらのことである。明け放たれた日本の家では、目は自ら屋外に向く。部屋のどの部分に座ろうと、大きく外に開かれた部分に顔が向く。そこには緑があり、空の青がある。あるいは降り続く雨の様子がある。室内にありながら、自然と向き合っている。溶け合うことも可能だ。
酷暑を凌ぐ知恵
日本の夏の暑さは湿度を伴い、凌ぎがたいものだが、日本家屋では、建て並べた柱を梁で横に繋いだ構造で、風が自由に吹き抜けて、涼しさをもたらしてくれる。この風の通り道を考えて、残りの部分に最小限の壁が作られたのである。壁のない部分には、障子や雨戸、簾や格子窓を設けた。簾は直射日光を防ぎ、涼しさを呼ぶ。縁の下も涼しさの工夫である。床を高くし、床下通風で防湿・防虫をはかり、家の中を涼しく保つ。
畳は吸湿性に富み、空気が乾燥したら湿気を放出するようにできていて、まるで人の健康を支えようとしているかのように呼吸する素材である。
屋根も重要な役割を持つ。暑さを凌ぐ屋根としては、竪穴時代から何千年も日本で使われてきた茅葺にまさるものはない。農家では茅葺の重い屋根に耐えるよう壁が多いが、それでも室内はひんやりしている。瓦も断熱材としては優れたものであるが、茅葺の美しさにはかなわない。
日本家屋の開放感は他国にはない。韓国や中国では、たとえ木造家屋であっても閉鎖的である。湿気が少ないうえに、冬の寒さが耐えがたいからである。ヨーロッパに行くと暖かい地中海沿岸でも家々には小さな窓がある程度で、その閉鎖感はプライバシーを重く見る民族性からきているのかもしれない。
寒さへの備えに欠ける日本の家
日本の冬の寒さは夏に劣らず厳しいが、木造の家は寒さへの備えに欠けている。寒さや雪を愛でる文化が息づいていて、寒さには辛抱強い。障子を開けて雪見酒で一句詠むといったことが風流に感じられる国民性ゆえ、それほど防寒を家屋に頼ることをしなかった。また、冬の陽だまりの暖かさを感じることが生きることの喜びであり、旬のある暮らしの大切なところであるという思いが根付いている。その代わりというか、綿入りの着物や炭のコタツなど、比較的自由に扱える防寒策に頼るままにしておいたのである。冬には2階から出入りするような日本海側の豪雪地帯などでは、雪に耐える柱の構造や屋根の勾配、壁のつくりにそれなりの工夫があるが、冬には家の周りにわらを掛けたりして冬支度するように、家自体は冬の寒さに備えるよりも、夏の暑さに備えて開放的である。冬が厳しい農山村の家屋でも、多少壁が多いが、南側や東側には座敷の前を開けて縁側を取り付けた。とかく人々は冬の寒さを耐え凌いで、春が来るのをじっと待つ。やがて雪の下から草花の芽が覗くころ、春の訪れをまたしみじみと感じ取るのである。
「和風と四季」 (「四季と木の住まい」からの抜粋)
小原二郎 (千葉工業大学理事・教授)
寝殿造りにしても、書院造りにしても、またそれから発展した数寄屋造りにしても、なぜこのように開放的な住まいがわが国に定着したかというと、白然との交渉が深かったためである。気候が温暖で夏の暑さも冬の寒さもそれほどではなく、四季の移り変わりがはっきりして、その折々が美しく豊かな自然に恵まれていたので、それを暮らしに取り入れようとしたのである。住まいがこのように落ち着いてくると、軒先、縁側といった自然との接触の場所は、ますます重要な役割を果たすようになった。そこで食べる料理にも四季の要素が取り入れられた。日本料理の盛付けはしばしば箱庭のように美しいが、料理にまで自然が強く反映しているのはそのためである。
こうした住まいをつくるのに、木は最も適当な材料であったことはいうまでもない。だが私は日本人が木を好んだもう一つの理由に、仏教の無常観があったのだと思う。
われわれの祖先は、自然も社会も常に移り変わるものと悟っていた。その法則にさからわないで暮らしていくのが、日本人の生き方であった。すべてのものは人間の命と同じように、限りあるはかないものと知っていたから、木のように朽ちて自然に帰っていく素材に、なにか心を惹かれたのであろう。以上のように考えてくると、ヨーロッパの「石の文化」「金の文化」に対して、日本の「木の文化」が生まれた理由を納得することができる。
戦後、私たちの生活は急速に洋風になった。たしかに洋風は機能的で便利であるが、なんとなく型にはまって落着きに欠けるものがある。それは四季につながった和風の空間が失われたためであろう。このあたりでもう一度、和風のよさを振り返ってみるべきではないだろうか。だがそれは、純粋和風といった堅苦しいものではなく、もっと気軽に楽しめる新しい形の和風であってよい、と私は思う。
(出典: 住まいの文化誌「四季遊人」昭和61年 ミサワホーム総合研究所刊)
「雅美生活」(抜粋)
魯山人
早寝、遅起き、昼寝好き、八時間以上十二時間は寝る。
眼が覚めたとなれば
常人の幾倍かの仕事をする。
毎日自家のユニ第一番に入る。
湯から出れば間髪を入れず
ビールの小瓶を数本痛飲する。
無人境に近い山中の
一軒家においてである。
自然の山とか谷とかいうものを取り入れて、
屋敷とするには、細工を施すものもある程度には、
もちろん必要だが、
その細工は、ひょっとしたら
古い昔からこういうふうに出来ていたかも知れぬと
思われるくらいに、
人為と自然とが渾然として、
区別のつかぬようにしたいものだ。
日常生活に
雅とか美とかを弁え、
それを取り入れて楽しめる者は、
たとえ貧乏暮らしであっても、
金持ち性と言えよう。
その心の底にはゆとりがある。
金持ちであっても、貧乏性だと言われるものたちの
人柄に比ぶれば、
ずいぶん幸福ものと言えよう。
能く言うところの心の富者である。
(出典 :「魂を刳(えぐ)る美」魯山人 二玄社)
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